ゴーゴリ『外套』のあらすじと考察、作品が伝えたいことと解釈・感想など。

2024/06/08

文学

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どうも。横ナルカと申します。

突然ですが、最近読んでいる本、ジュンパ・ラヒリ作の『その名にちなんで』にゴーゴリのことがたくさん出てくるので、ちょっとまとめてみたくなり、ブログを開きました(笑)。最近ダイエットのことばかり書いていますが、そもそもこのブログを立ち上げたのは本の紹介をするためでした(そうだったの!?)。

画像はAmazonリンク

ということで、今回はゴーゴリの名作『外套』について書いていきたいと思います。この作品は1842年に出版された短編小説です。あのドストエフスキーが絶賛し「我々はみな、ゴーゴリの外套から生まれ出てきた」と言い放った作品です。

端的に言えば、ロシアの官僚社会を風刺した作品。主人公のアカーキイ・アカーキウェッチは、控え目で貧しい役人ですが、正直で人当たりの良い人物として描かれています。以下、あらすじと考察、この作品が何を伝えたいのかについて、色々考えて綴っていきたいと思います。

あらすじ

アカーキイは真面目に働く下級役人だった。彼は古びた外套を何度も修理して着ていたが、やがて限界がきて修理できなくなり、新しい外套を注文することにする。しかし、途方もない出費となり、アカーキイは食事を控える厳しい生活を強いられる。ようやく外套が仕上がると、アカーキイは夢のようにピチピチチャパチャパ喜んだ。アカーキイは外套のお披露目パーティーに呼ばれる。だがその夜、強盗に外套を奪われてしまう。このショックで病に倒れ、アカーキイは死んでしまった。死後のアカーキイの霊は、外套を奪った者への復讐を果たそうと、街を徘徊する。理想の外套発見!なんとその外套は、ショックのときに相手にしてもらえなかった有力者のものだった!アカーキーはそれに気づくと、小言を言いまくってそれを奪った!

その後、有力者は傲慢な態度を改める。アカーキイはというと……外套をゲットし、強盗とそっくりの風貌になっちゃった!ブ〜ラブラ〜!

この作品についての考察

この作品は当時のロシア社会における貧困と官僚制度の弊害を風刺した作品であると考えられます。主人公アカーキーは、下級官吏として真面目に働く一方で、貧しさゆえに古びた外套を着用せざるを得ない境遇にありました。

アカーキーが新しい外套を手に入れるまでの過程は、極端な貧困に喘ぐ庶民の苦しみを象徴していると思います。食事を控え、出費を切り詰めながらも、外套は手に入れられません。以下、青空文庫からの引用です。


“アカーキイ・アカーキエウィッチは考えにも考えた末、少くとも、向こう一年間は日常の経費を節約するほかはないと決心した。毎晩お茶を飲むことをやめ、夜分もローソクをともさないことにして、もし何かしなければならないことでもあれば、主婦の部屋へ行って、そこのローソクの灯りで仕事をし、街を歩くにも、丸石や鋪石の上はなるだけそっと、用心深く爪立って歩くようにして、靴底が早く磨りへらないように心がけ、また、なるべく下着も洗濯婦せんたくやへ出さないようにして、それらを着よごさないために、役所から帰ったら、さっそく脱いで、そのかわりに、ずいぶんな古物で、時の破壊力そのものにさえも慈悲をかけられているような、天にも地にも一枚看板の、木綿めんまじりの寛衣へやぎにくるまって過すことにした。正直なところ、こうした切りつめた生活に慣れるということは、彼にとってもさすがに最初のうちはいささか困難であったが、やがてそれにもどうやら馴れて、おいおいうまく行くようになり、毎晩の空腹にすら、彼はすっかり慣れっこになった(青空文庫)”

“時の破壊力そのものにさえも慈悲をかけられているような”ってwww ……ん? ドラクエ!?

ペテルブルクは外套なしではとても生きていけるような土地ではありません。それにも関わらず、安易に手に入れることなどできない貧しさ……(涙)。

アカーキイがようやく外套を手に入れた時の喜びは、些細な物でも幸せを感じる貧しい人々の姿をとてもリアルに描いています。しかし、強盗に外套を奪われるという出来事は、弱者が僅かな希望さえ簡単に奪われてしまう社会の残酷さを表しています。

そしてアカーキイが死んだ後に、彼の亡霊が強盗のような風貌になる描写は、大変重要な意味合いを持っています。これは、単に復讐を果たそうとする怨霊の姿ではなく、弱者と強者の立場が入れ替わる可能性、力学の転換を描いているものと思われます。同時に、この作品内では、個人であれば善人なのに、組織に入ると悪となってアカーキイを苦しめてしまう様子も描かれています。

以下、有力者がアカーキイの霊に遭遇したシーンの引用です。

“有力者の恐怖がその極点に達したのは、死人が口を歪めて、すさまじくも墓場の臭いを彼の顔へ吹きかけながら、つぎのような言葉を発した時である。「ああ、とうとう今度は貴様だな! いよいよ貴様の、この、襟首をおさえたぞ! おれには貴様の外套が要るんだ! 貴様はおれの外套の世話をするどころか、かえって叱り飛ばしやがって。――さあ、今度こそ、自分のをこっちへよこせ!」哀れな有力者はほとんど生きた心地もなかった。彼が役所で、総じて下僚の前で、どんなに毅然としていて、その雄々しい姿や風采に接する者が等しく「まあ、何という立派な人柄だろう!」と感嘆していたにもせよ、今ここでは、ざらにある、見かけだけはいかにも勇壮らしい人々のように、非常な恐怖を覚えて、自分は何かの病気の発作にでも襲われたのではないかと、まんざら根拠のなくもない危惧の念をすら懐いたほどであった。彼はあわてて外套を脱ぎすてざま、まるで自分の声とは思われないような声を振りしぼって馭者にこう叫んだ。「全速力で家へやれ!」馭者は一般にいよいよせっぱつまった時にかぎって発せられるような、そのうえ何か言葉以上にはるかに現実的な調子さえ帯びている声を耳にすると、万一の用心に首を肩の間へすっこめて、鞭を一振りすると同時に、矢のように橇を飛ばせた。六分間あまりで、有力者は早くも自分の家の玄関さきへ着いていた。顔は青ざめ、戦々きょうきょうたるありさまで、外套もなしに、カロリーナ・イワーノヴナの許ならぬ我が家へと立ち帰った彼は、どうにかこうにか自分の部屋へ辿たどりつくと、そのまま一夜を極度の動乱のうちに送ったため、翌る朝お茶の時に娘がいきなり、「パパ、きょうはお顔が真青よ。」と言ったくらいである。しかし、パパは押し黙ったまま、誰にも、自分がどんな目にあったとも、どこにいたとも、またどこへ行こうとしたとも、一言も語らなかった。この出来事は彼に強い感銘を与えた。彼は下僚に対しても、例の「言語道断ではないか! 君の前にいるのが誰だか分っとるのか?」というきまり文句を、以前ほどは浴びせなくなった。もし浴びせたにしても、それはまず、事の顛末をいちおう聴取してからであった。(青空文庫)”

社会的に抑圧された立場の人間が、ある契機で立場を得ることで、かつての圧迫者と同じような振る舞いをするようになる、そういった人間社会の循環を描いているとも考えられます。弱者が力を手にすれば、今度は彼らが新たな強者となり、別の弱者を生み出してしまうのかもしれません。

昨今のインターネット炎上や、芸能界のアレコレなどでもよく見かける話ですよね……。

感想・まとめ

このように、『外套』は単なる風刺小説にとどまらず、人間社会における力の循環と、それによって生み出される新たな被害者の存在を指摘している作品として、とても面白く読むことができます。ゴーゴリはこの作品を通じて、抑圧に苦しむ庶民の立場に寄り添いつつ、人間が力を手にした際の倫理性の欠如への警鐘も鳴らしているのだと思います。

ではでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。


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