【小説】放課後ドカ食い倶楽部〜直美編①〜

2024/05/07

【小説】放課後ドカ食い倶楽部

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 夏の夜の歌舞伎町。錆びた非常階段が音を立てて剥がれてきそうな雑居ビルに、直美の目的の店はあった。ヒールの音を響かせながらエレベーターに乗り込んでいく。湿気が強く、安っぽい芳香剤の匂いが立ち込めている。直美の腕にはくたびれた合皮の通勤バッグと、サイズの合わなくなったスーツのジャケットをかかっている。美容院にはいつから行っていないのだろうか。頭頂部と毛先の色は随分違った。そんな疲れを隠しきれない直美を、エレベーターもまた気怠げな態度で七階へと運んでいった。

 エレベーターは溜め息を漏らしながらぎこちなく扉を開ける。直美は開き切る前に外に出た──そこには、夢色ネオンが光る奇妙なドアが一つだけ存在していた。

 脇に、一枚の紙が貼られている。


“この店に入ったら、自律心や責任感、他者を配慮せねばならないといった社会の重圧から心を解放してください。意地の悪いことを言う人は一人もいません。安心して下さい。【放課後ドカ食い倶楽部】は、大人になりきれない私たちの秘密基地です”


「新宿」「食べ放題」「空いてる」で検索して出てきた店だった。直美の目的はドカ食いだった。この日ばかりは、人気や美味しさ、お店の綺麗さなんてどうでもよかった。とにかく、胃袋の限界まで食べ物を詰め込みたかった。できることなら、ひっそり、こっそり、落ち着いて、静かに。


・90分制、おひとり様3,000円~

・私語禁止

・他のお客様のお食事を妨害する行為(ナンパ、セクハラ、勧誘等)を見かけたら即警察に通報します

・当店は風俗店ではございません。女性のお客様でも安心してお食事をお楽しみいただけます”


「風俗店ではございません」

 直美は声に出して読み上げる。ここに来る途中【放課後デカ尻倶楽部】という、この店と似たような名前の如何わしい店の看板を見たばかりだった。西新宿から歌舞伎町に入る寸前まで【放課後ドカ食い倶楽部】は普通のレストランバーだとばかり思って歩いていた。パフパフとかニャンニャンな店かもしれないなんて、そんな心配などまったくしていなかった。だが、このエリアに入った途端、嫌な予感がプンプンし始めた。

 だけどよかったブヒ。そんな心配はいらないブヒ。そう、ここに書いてあるブヒ──つって。なんだよブヒって。部費か。倶楽部だからか──だいたい、そんな心配をしたところでどうなるというのだ。三十四歳で婚約破棄を食らったしがないOLが、ここで気持ちの悪いオッサンに食われたとて、失うものなどあるだろうか。挙式に向けて47kgまで痩せた体重は半年も経たずに65kgまで増量した。今一度、直美は自問自答する。私に、これ以上失うものなどあるのだろうか────────ない。

 直美はドアを開けて店の中に入った。

 直美はドカ食いに堕ちたかった。to be continued.


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