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映画『君たちはどう生きるか』の「我を学ぶ者は死す」の考察

 

https://www.ghibli.jp/works/kimitachi/


先日、はちゃめちゃに乱暴な考察かもわかりませんが、大叔父さんには釈迦要素入ってて、13個の積み木は仏教の13宗派のことだろうと書きました。

https://www.familymanma.com/2023/08/kimitachi.html

何気に検索からアクセスしていただいているようなので、もう少し書きたいと思います(調子こき)。

えーと。

「我ヲ学ブ者ハ死ス」とありましたね。

あれの「我」ですが、仏教で「我」は「私」という意味での使われ方をしません。仏教視点から鑑賞したわけですので、えー、引用させていただきますと、

“仏教では、無我ということを説いています。

我というものは本来無いのだという真理です。”

“我とは何かを考えるには、まず大森老師は

「後天的な妄想ででっち上げた自我というものをまず粉砕することである」

と説かれています。”

(我とは何か)

と、まあこんな感じです。
自分の奥底に何かあるのではないかと、深層の奥の奥、下の下の下まで掘り進めたところで、我なんてものは本来ない。だから、それを知ろうと深いところまで潜って行っちゃうと危ないよってことなのかなと、私は解釈しました。「我ヲ学ブ者ハ死ス」っていうのは。

また「眞人」という名前について「死のにおいがプンプンする」みたいなことをアオサギが言っていたかと思います。
仏教で「真」は「悟りで得られた真理」という意味で使われます。

となると、

「悟りを開く」=「死」
「悪意と向き合う」=「生」

という対比が浮かび上がってきますね。

いやー、さとり世代がひっくり返ってしまうな、これは。私も1986年生まれなのでその世代に片足突っ込んでるわけですが。

あくまでも私が個人的に楽しんでやってる考察ではありますが、この視点で鑑賞してみるのも割と楽しいのではないかなと思います。

まあ、話半分で書いてるので、そこら辺よろしくお願いしますw

この考察がまったくの的外れで、
「我ヲ学ブ者ハ死ス」=「考察なんかしてないで森に行って足腰動かせ」
という意味の可能性もあるかと思います。

それはそれで面白い?どうかしら?

ではでは。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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