絵本のプロフィール
作者:宮沢賢治
画(版画):佐藤国男
出版社:子どもの未来社
発行:2010年
対象年齢:5歳から
要約
猟犬を連れた2人の紳士が、山奥の不思議な料理店で恐ろしい目に遭う物語。
この絵本から学べること
※ 項目の特性上、ここから先は本の内容に触れていきます。いわゆるネタバレが含まれてしまう可能性があることをご了承の上、お読みください。
山に入った二人の若い紳士は、山奥で起きた出来事により、自分たちの力と技術だけではすべてを制御できないことを理解させられました。二人がイギリス兵の格好をしてピカピカの鉄砲を持っていたということから、狩猟、山に関しては初心者だったことが伺えます。早い話、舐めた態度で山に入ったんですね。サバゲーとはわけが違うんだわな。
◆都会と田舎の違い
紳士らは、山の動物を現金換算すると同時に、相棒であろう犬がめまいを起こして死んだ際も"二千四百円の損失だ"と換算しています。二人の体型、格好、また大正13年初出という時代から考え、成金の拝金主義者を描いているのではないかと思われます。
賢治は岩手(田舎)をイーハトーブ、すなわち理想郷と呼んでいることから、このような上辺だけの西洋文化に対して批判的な態度だったとわかります。
◆生きる=食べる
生きるということは食べるということ。すべての生き物がそうなのです。自分たちだけが食べるんじゃない。自分たちだって食べられてしまう可能性がある。食物連鎖のてんやわんや(?)。
(なぜこの山には動物がまったくいないのでしょう……山猫側も山猫側で資本主義的な構造がありそうなのが面白いです)
ちいかわでも!
— ちいかわ💫アニメ火金 (@ngnchiikawa) November 19, 2020
◆恐怖の後遺症
作品の最後で示されるように、二人の紳士は無事に東京に戻ったもの、彼らの顔は恐怖によって変わり果てて、元の姿には戻らないと描かれています。超自然的なものによってこらしめられたという解釈ができると同時に、ひどい経験やトラウマは一生消えることがないという教訓であると解釈ができます(前者の解釈が一般的ですが、子育てという観点からこういう解釈もアリなのかな、と)。
◆神、あるいは超自然的な存在との対立
山猫に食べられそうになる、死んだはずの犬が復活する、などといった描写から、人間と超自然的な存在との二項対立を描いていると思われます。
紳士らは店内に進むに連れ、身につけていたものを順に置いて進んで行きました。そして最後、
”見ると、上着やや財布やネクタイピンは、あっちの枝にぶらさがったり、こっちの根もとにちらばったりしています。風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました”、
といった形で紳士たちに返されました。
しかし、ピカピカの鉄砲は返却されていません(※賢治の文章では返却されたと書かれていませんが、絵では返却されている描写になっています。私は返却されていないと思っている派なので、ここでは絵の表現を一旦脇に置いておきます。スミマセン……)。
子どもの頃は、この部分を「山猫が鉄砲を取ったんだな。次こういう人間が山に入ってきたら、こんな料理店なんかややこしいことで人間を捕まえて食おうなどせず、一発でタタターンと仕留めようってことなんだな」と解釈していました。
大人になった今は、この作品に何度と出てくる風が、ただの風ではなく、山の神なのではないかと考えるようになりました。
神は鉄砲をどこにやったのでしょう。
※ この項目は、ブログ主の主観に基づいて書いております。著作者様の思想や感情を反映したものではありません。
※ お子さまの心の成長や読書感想文のご参考、または大人の方の自己啓発にお役に立てたら嬉しいです。
※ まだ作品を読んでいないかたは、ぜひ書店や図書館等で探して読んでみてくださいね。
子ども(5歳)の感想
・怖いけど面白かった。
・「風がどうと吹いてきて」っていうのが好き。
母親の感想
版画が出せる特有の世界観に引き込まれる絵本でした。
子どもの頃、この山猫は猫又だと思うと必死になって友達に説明してキモがられたのを思い出しました(笑)。
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